てがろぐ!

瀬戸きりゅうのひとりごと
暗い内容になりますが、先日他界した父のことについて少しだけ語らせてください。

死に対する話題なので苦手な方などはこの日記は読まなくて大丈夫です。そしてとてつもなく長い内容です。





8月27日の午前に父がこの世を去りました。

前日のお昼から夕方にかけて私、母、妹、姪っ子、そして父の様子を見にこちらに来ていた祖母と一緒に病室で父と話して、まだ父が死んでしまうなんて気持ちの準備も出来ていない、そんな突然のことでした。
帰り際、父は退院した後のことを口にしていたし、私も「退院したら抗がん剤を使うために通院だから、またお父さんが過ごしやすいように部屋を整えとく!」と言って、明日も来るね!と伝えて握手をして、少し冷たい父の手が不思議なこととも思わず帰宅してしまいました。

亡くなる前日に間質性肺炎の新たな治療を試みて、次の日(27日)に効果が出るのを待っているように先生に言われ、でもいつどうなるか分からない状態なのでいつでも電話に出れるようにしておいてくれと伝えられました。
でも、その日の夜に電話がかかってこなかったから、私たち家族はどこか安心してしまっていて。
今までもそうやって死にかけても回復してきたのが父だったので、悪い意味でそういう言葉に慣れてしまっていました。

次の日の朝6時前に電話がかかってきたのに気づいたとき、どうか病院じゃありませんようにと願いましたが、その願いも叶わずでした。
その電話で看護師さんが血中酸素が機械の最大を使っても80%しか保てないので、いつどうなってもおかしくないので、本日中に来れるときでいいので病院に来てくださいとのことでした。

私が今すぐ行ってもいいですか?と聞くと、看護師さんが少し驚いたように「来れそうなら来てもらっても大丈夫ですが、お食事とかされてからでも大丈夫ですよ」みたいに言ってくださったので、ほんの少しだけでも父はまだ大丈夫なんだと思ってはいけないのに、思ってしまいました。思ってしまったんです…。

大丈夫と心に言い聞かせながらも、すぐに家を出ることにし祖母はどんなに起こしても起きなかったので、母と私で病院に向かいました。
その間に妹にも電話をして、妹も私と同じく父がすぐ亡くなるとは思わず、姪っ子にご飯あげてからすぐ向かうね!という感じでした。

病院までは車で急いでも40分かかってしまうのですが、その間にも病院からの電話がなかったので安心していたのですが、走って母と病室に行く途中で、「瀬戸さん!聞こえますか!?」という声が聞こえて、自分の中から血の気が引くのが分かりました。

病室についたとき、父はもう意識を失っている状態でした。

ただ、息はまだかすかにしていて、看護師さんも「数分前まで喋っていたんです。まだ声は聞こえると思います、呼びかけてあげてください」と言われ、母と一緒に沢山呼びかけました。

私が「お父さん、息しなきゃ!吸って吐くんだよ!」と声上げると、口が吸うように動き、その後にちゃんと吐くように動いて、でもその後に何度声をかけても口も動かなくなってしまいました。
その間もあきらめきれず、母とずっと声をかけ続けていたのですが、いつ父が私たちの声を聞こえなくなったかは分かりません。

妹が着いたときにはもう父は動かなくなっており、ずっと妹が泣きながらご飯を旦那に任せてすぐ来ればよかったと後悔の言葉を口にしていて、本当につらくて胸が痛かったです。

担当の先生の到着に時間がかかっているとのことで、死亡判定が出たのが私たちが着いてから随分経ってからだったのですが、死亡時間と亡くなった旨を伝えられた時は頭に何も入らなかったです。

でも、そんな状態でも死亡後はすぐに葬儀屋さんを探さないとでしたし、母は心身ともに辛そうだったので、妹と私でやろうということで、葬儀屋さんを探して、遺体を葬儀場に運んでもらってとかの手配をしました。

その際に、祖母に父の死を伝えると、「なんで起こしてくれなかったんだ!」とすごく怒られましたが、祖母の怒る気持ちはすごく分かるけど、起こしても起きなかった旨を伝え、その時に家を出ていなかったら父は家族のだれの声も聞こえずに一人で亡くなっていたかもしれないと伝えて、本当にごめんなさいと謝ると、祖母もすぐに許してくれました。

葬儀屋さんを待っている間に看護師さんから意識を失う前の父の様子を聞くと、家に帰りたいと言っていたことや、意識を失う直前まで家族の名前を言っていたらしいです。

そのことを聞いて、辛すぎてどうして前日の夜に病室に泊まる選択肢が思い浮かばなかったんだろうとずっと母と妹と一緒に後悔ばかりしてしまいました。


葬儀屋さんと、会場で葬儀の通夜とお葬式の日にちを27日に決めた後、妹が看護師さんの話を思い出したみたいで、「会場に運んでもらった後にこんなことを言うのは大変申し訳ないと思うのですが、父が亡くなる前に家に帰りたがっていたのですが、通夜までどうにか家に父を置いておくことはできないでしょうか?」と葬儀屋さんに伝えていて、私はそうしてあげたいという気持ちもすごくあったのですが、そんなイレギュラーな要望は葬儀屋さんにとって迷惑だなとも思ってしまい、前向きに妹に同意できなくて傍で聞くことしかできなかったのですが、最初は困っていた葬儀屋さんも妹の諦めなさに根負けして、上の方に聞いていただいた結果、通夜まで家に置くのは準備など色々あるので、家の外に遺体を連れて行って、少しだけその場にとどまるという形でも良いですか?と言ってくれ、無事最後に父を家に連れて帰ることが出来ました。

でも、遺体を運んだ時は私の地域は大雨で、なんでこんな時に降るんだー!と妹と嘆いていたのですが、のちにお葬式に来た方に聞いたら、その大雨の後、私の県では大きな虹がかかったらしいです。
その人が「もしかしたらお父さんが天国に行けるように、虹の橋をかけてくれたのかもね」って言ってくれて、すごく嬉しかったのと同時に無理を聞いてくれた葬儀屋さんや、無理かもと思ってもあきらめずに交渉してくれた妹にすごくありがとうの気持ちでいっぱいでした。



通夜と葬儀は慣れない対応や、父を亡くして心身共に疲弊してしまっているために、来てくださった方の親切からの言われた少しの言葉も矢のように突き刺さってしまったりしてすごく考えなくてもいいことまで考えてしまって悲しくなってしまったりもしてしまいましたが(普段は何も思わないのに、長女さんのお孫さん見れなくてお父さんは悲しがってますねとか諸々結婚関連の話題が結構しんどかった…)、その度葬儀屋さんが親身になって寄り添ってくれて本当に家族一同助かりました。

亡くなった病院は大きな病院だったのですが、その前に入院していた病院で父の主治医をしてくれていた先生は、父とは大学からの知人だったらしく、「お父さんがどんなに治療を頑張っていたかを葬儀でみんなに伝えたいのですが」と言ってくださったので、参列者代表としてご挨拶いただいたのですが、その言葉が本当に素晴らしくて…というか、父が本当に今まで頑張っていたこと、父の前向きさなど色んな事が思い出されるようなお言葉で、我慢していた涙がついに我慢できなくなり、嗚咽を吐きながら泣いてしまいました。

火葬場では以前祖父が亡くなった時、祖母が火葬ボタンを押した記憶があって、母がそれをしたらショックで何か壊れてしまいそうな気がして、私が火葬ボタンを押すからねと伝えていたのですが、火葬ボタンは職員さんが押してくれて少しだけホッとしました。
姪っ子が、火葬場のところで「じぃじ!」と何度も呼ぶことがあって、父がまだそこで見守ってくれているのかなと思うと、なんだか心が不思議と温かくなりました。

29日に葬儀も無事に終わって、手続きもしなきゃなのに、葬儀の次の日に風邪をひいてしまって今も咳と鼻水が出てる状態で、熱も出たり引いたり繰り返してて、電話やネットの手続きしかできない状態で情けないです…。
とりあえず、スマホ解約など諸々の手続きはありますが、法的な手続きは今日でほんの少しだけ落ち着きそうなので、近々また自分の心を明るくするためにも、息抜きをしていきたいなと思います。

葬儀で挨拶をしてくださった主治医の先生が、葬儀後に送ってくれた父が家に帰ったあとに出た虹の写真で締めくくります。
その先生曰く、四十九日までは父はこの世にいるらしいので、色々好きな食べ物作ったり、仏壇に話しかけたりしようかなって思います。

こんな暗い長々日記を読んでくださった方がいましたら、本当にありがとうございます…!
まだまだ心の整理には時間がかかりそうではありますが、父のことはこの記事で一区切りにして、次からは明るい内容をお届けしますね…!

父の心配をしてくださったすべての方に感謝を込めて。

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